日本政府観光局の発表によると、昨年一年間の海外からの観光客が13,413,500人であったと伝えている。ネットの書き込みなどを読むと、多くの人々が日本に親しみを感じているようだ。
まず、日本に来て街の中を歩くとゴミがほとんど目につかないことに驚きを示している。あるいは、トイレのウォシュレットや、商品包装の細やかさや美しさなど、日本人の整理整頓、清潔好きに驚いている。また、駅や百貨店の係員の親切さだけではなく、道を歩いている普通の人たちも丁寧に道案内をしてくれるなど、日本人の細やかな心遣いに感動している。
私たち日本人にとっては、これらは日常のごく当たり前の生活の一コマなのかもしれないが、海外から観光に訪れた人々の多くにとっては新鮮な発見であり、旅の新たな感動の一つになっているのである。
このような日本人への良い印象は、戦後の歴史の中で国際政治によって意図的に作られた誤った歴史観や、日本軍、日本人への数々の誤解がなされてきたことを残念に思っていた人たちにとっては嬉しい出来事だと思う。もちろん、どのような立場にある人であれ、昔も今も自国を褒められて喜ばない人はいないだろう。私も大いに感動し喜んでいる一人である。
しかし、有頂天になってはいられない。なぜならば、現在の日本の社会や人間性が理想の基準に達しているかと考えるならば、決してそうではないからだ。年々増える犯罪の種類や家庭崩壊現象。自殺においては10年以上に渡って年間3万人 と世界的にも最悪の状況である。
「戦後70年の総決算」と銘打って新しい良き社会を目指すという現政権の方針には大賛成ではあるが、経済や政治において表面的な改革を行なってみてもさほどの変化は起きないであろうし、現在の混迷する国際情勢のなかにあっては、小手先の変化では日本の将来を安寧で発展的なものにすることはできないだろう。
私の考えるところによると、人間社会は人間個々のありようによって築き上げられているのは当然のことであるが、人間のありようがどこで築かれるのかといえば、その根本が家庭の中で青年期に到るまでに築かれるのだと思う。もちろん人間の本質はその外見にあるのではなく、精神的な内容に見なければならない。即ち、心のクオリティーがどれだけ尊貴性のある価値を持ち得ているかにある。
拙著『情然の哲学』 では、人間の心は情感と理性による互恵的調和関係によって成り立っており、豊かな感性と正しい理性の確立を成すことの重要性と共に、個体としての人間各々がそれぞれの心を持っていたとしても、心が存在するためには個々の心の内部構造として“家族愛における調和的構造”が必要であることを説明している。即ち、良き人間性の形成には、心の中にこそ良き人間関係の基盤となる潜在的な要素を備えなければならないのである。
したがって、日本や世界の平和と発展は、人間の本質としての心の教育を施すこと、そして、いかに愛ある良き家庭を築き上げていくかということにかかっているのだと思う。政治的決断により左傾化した戦後教育を改革する必要があることはいうまでもないし、青少年に対し是非とも正しい歴史観や社会観を教えていただきたい 。それと同時に、家族みんなが心を育てることのできる社会環境や雇用制度を整備して欲しい。学校教育だけでなく、「家庭」が人間教育のより根本的な基盤であるという視点に立って支援することが大切だと思うからである。
世界の人たちが日本に注目し、実際に足を運んで来て直接見聞きしている今だからこそ、私たち日本人は、今まで以上により素晴らしい日本と日本人を見せるべきではなかろうか。父祖たちが血と汗で築いた気高い日本の精神文化の名誉を回復し、汚名を返上しなければならない。
もちろん、悪しき点は改め、善きことは更に善きものとして育てていかなければならない。そのために、私も、そして一人でも多くの日本人が自分自身の人間性を磨き、表面的ではない、日本の真の精神文化の価値を築き示していくべきだと思う。それは、将来の日本のためであり、そして世界人類のためでもある。
親切な心が更に深く愛ある心に成長し、美しい日本が更に美しく輝くように努力したいと思う。日本が単に経済的先進国としての地位にとどまらず、精神的先進国としても確立されるように・・・