2012年12月16日
琳派とは、江戸時代の絵画の一流派で、俵屋宗達や本阿弥光悦を祖として尾形光琳が大成し、酒井抱一などに受け継がれた鮮麗な色彩や金泥・銀泥を巧みに用いた装飾的な画風を特色とする伝統的な日本画である。
今回は、出光美術館で開催されているのだが、数多い作品の中で、何といっても酒井抱一の紅白梅図屏風が一番の見物であった。凛とした清廉な光を放つ銀箔の上に、躍動的な梅の枝が、まるで雪景色の中に春の香りを運ぶ龍のように駆け上っている。広い空間に寸分の隙も見せず、計算された枝のしなり。それでいて、見る者の心を癒やし、人生の深みを味あわせてくれる。
日本の絵画には西洋に見られない、「間」の情感性が漂う。文学において行間を読むという言葉があるように、日本画においては何も書かれていない空間を味あわなければならない。そこに、芸術の真髄が描かれているのである。西洋絵画は多くが説明のために描かれており、画面いっぱいに絵の具が塗り込められ隅々まで丹念に説明が加えられているのであるが、日本画はそもそも説明を目的とはしていない。画家が感じた深い味わいを、共感をもって本質に迫ることを旨としている。
西洋哲学も論理的に真理を探究し、理解を他者に説明しようと弁証法を用いるのであるが、日本の精神哲学は、語らずして空を悟り、通じ合うことによって共に気を掴み取るのである。はたして、どちらがものの本質を捉え、また、その意味を伝えることができるであろうか。
私は、日本から芸術の本質を描き出す新しい芸術が生まれなければならないと思っているし、宇宙や人間の本質を情操的に掴み取った新しい哲学が生まれなければならないと思っている。見えるものよりも見えないものに存在の本質がある。それが真に宇宙の本質であり人間の本質であるならば、これから世界は本然の世界へと導かれていくだろう。