2011年9月14日
9月12日 千葉県にあるホキ美術館の写実絵画を鑑賞した。昨年の11月にオープンしたばかりとのことで、こじんまりとした美術館ながらなかなか洗練された建築デザインになっており、光の取り込み方や、展示の仕方に工夫がなされておりとても気持ちよく鑑賞できた。
世界でもまれな写実絵画専門美術館と謳ってあるだけあって、徹底的なリアリズムを追求した作品が展示してある。作家は、そのほとんどが日本人で、我が国を代表する写実絵画の重鎮から新鋭までの作品が並べられている。
私は、世界のほとんどの有名美術館に行って、歴史的な名画はほぼ見て来たと思うが、今回、西洋の写実絵画と日本の写実絵画の違いを明確に感じた。それは、民族における歴史が培った精神性の違いと、絵画そのものに取り組む精神的姿勢の違いである。
簡潔に言えば、イコン以降の中世における西洋のリアリズムは、聖書の物語をいかに実際に見ているがごとく(写真のように)に描くことができるかが重要な目標となっている。多くの作品は絵の具で描かれた写真に代わる写実画である。もちろん中には深い精神性が描かれているレオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロの絵画もあるのであるが、それとてキリスト教という信仰を土台としなければ理解することは難しいだろう。
近代のリアリズムにおいては、コローやアングル、クールベなどたくさんの写実絵画の作家たちがいる。もちろん多少の哲学的違いはあるのだが、作品自体から醸し出される精神性においては、リアルさという外面上の迫力が勝っており、あるいは、その物語上における精神的訴えであって、絵の具が絵の具のままで、絵の具そのものが精神的なものへと変貌しているようには見えない。
私は、レンブラントやシャルダンの作品からは、多くの他の西洋絵画とは異質な精神的深まりを感じ取ることができる。まさに、絵の具ではない精神そのものの叫びを感じるのである。
日本の精神文化は、質の高いものに至れば至るほどに、ものの上面よりもその内面に隠された深い精神的なものを見つめているように思う。何かの宗教に偏った思想の表現にとどまるものではなく、人間の内面に潜在している神聖なる心の最も本質である。それは、絵画のみならず、あらゆる芸術分野においての目標をそこに置いていることを感じる。
これは西洋哲学が知の学問として理論的な追求に明け暮れてきたことに対して、日本においては、理論のみならず、情操的世界を探究し、ものの本質を鋭敏な感性で掴み取り描き出そうとしているということである。
今回、ホキ美術館に展示された近現代の日本人作家の中には、そのような日本の歴史に培われた鋭敏な情操的感性を持って表現された、精神的作品を多く見ることができた。芸術の本質をつかみ取っている民族の歴史は、現在の写実絵画の作家たちにも忘れることなく受け継がれていることを知り嬉しく思う。
写真のように描けていることや、本物のように描けていることを評価するのではなく、作家が人生の中でつかみ取った宇宙の声に耳を傾け、情操的感性から醸し出される心の香りを楽しんで欲しい。絵の具の美しさではなく、精神の美しさが美の本質である。デッサン力を見るのではなく、心の形をリアルに見なければならない。
私は、日本に良い美術館がまた一つ増えたことを誇りに思うし、多くの国内外の人たちに日本人の芸術の感性の深さを見てもらいたいと率直に思った。

五味文彦《樹影は蒼く匂う》

森本草介《VÉZELAY》

野田弘志《刺繍模様に薔薇》

森本草介《横になるポーズ》