日本の哲学である躾
混迷を深める現在の国際情勢を見るにつけ、日本の良き精神文化を世界が必要とする時が来たことを痛感する。
「哲学」は人生の根本命題を扱う諸学の基礎をなす学問であるため、哲学的見解を基に教育論や経済論、あるいは国家論から世界平和論まで展開することになり、社会に対する影響は多大なものとなる。したがって私は、哲学の本質的な使命は人間に幸福を与えることであり、また国際社会においては恒久平和を実現させることだと考える。
しかし、悠久なる知の歴史を積み重ねてきた西洋哲学は、世界に大きな影響を与えはしたが、人類が望む平和を実現することはできなかった。それどころか、止むことなき対立と闘争を繰り返し、先の世紀に二度の世界大戦の引き金を引いた遠因であったようにも思う。
人類は社会混乱の最も根底にあるものが「哲学」だということに気付かなければならない。学校現場での自殺やいじめ、社会で起きるさまざまな犯罪、国家間の戦争の根底に哲学があるのである。
特に近世以降の西洋哲学の傾向は、唯物論に偏重し社会や自然観を対立と闘争による弱肉強食の法則が支配していると見る。
また、個人主義を提唱し性の解放を礼賛する。その結果、人類は軍事力と資本主義経済の下に力によって支配され、本来の幸福の最も基礎となるべき家庭は崩壊状態に陥ってしまった。
日本に培われてきた「和の哲学」は平和の哲学である。
「和」は人と人、国と国が良好な関係を築くための基本であり、それは、互いを思いやり、他者の幸せのために尽くす生き方である。
また「道」の文化は人や物の背景にある情操的な精神的価値を探究し、そこに真の喜びを見いだそうとする。
情操とは、美しいものに触れて感動する情感豊かで道徳的、芸術的、宗教的な高い精神性を有している心の状態をいう。
「躾」の本質は、そのような人間の精神のあり方や身の振る舞い方を教える日本哲学の実践論である。私は、「躾」には家族愛の大切さや社会生活における調和と平和が保たれるための根本的哲学があると思う。
これは、西洋哲学が作り出した思考形態の対極に位置するといっても過言ではない。
人類に平和と幸福をもたらすためには、各国が力による経済的先進国家を目指すことから転換し、真の人間精神の確立を目指す「躾」の教育を広めることこそ必要ではなかろうか。