2015年10月2日
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9月、「画鬼暁斎展」に行った。 私は、彼の作品を見て北斎にも劣らない絵画に対する情熱と探究心、そして表現能力を感じた。画帖を片時も離すことなく毎日時間さえあればスケッチし、また日記として記憶の中の映像を描き残している。 鬼才と呼ばれる由縁は、神田川で拾った生首を写生したり、幽霊までも描き出し周囲を吃驚させたからのようだが、画家とはそうしたものだと私はさほど驚きはしない。 |
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川鍋暁斎のすごさは、目に見えるものの背後にある魂を見ていたところであり、描かれた存在は「物」ではなく「生命」であったり「時間」であったり「抉り出された情感」そのものである。 また、画面の何も描かれていない空間に、無限の世界を描き出している実在感は鳥肌が立つ思いである。もちろん、名作とはそうしたものであるのだが、人類史上数多の画家がいてもそれを成し得た者は多くはいない。その一人が、日本にいたことが私は嬉しい。 左記の「松に鷹、昇る朝日図」「枯木寒鴉図」は、まさにそうした名作だといえる。 あまり説明を加えることを必要としない、むしろそれをしないで、各々が自分の魂で感じ取って欲しい一点である。暁斎が描き出したものは何で、我々はそこからどれだけの宇宙を感じ取ることができるのか・・・。 |